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湯谷城訪問ログ
湯谷城所在地(国土地理院地図へ) 湯谷城は雷土城(板木城)と同じ稜線上にあり、 遺構の構造と規模から雷土城の支城と言える。 湯谷城主郭部分にある解説板。 湯谷城主郭様子。 高い木はなく、周辺も1m程度の草藪に覆われている。 しかしこの辺りは急に崖になっていたりするので注意。 草藪に覆われていてもハイキング道があるので、 城全体を見る事自体は割と簡単である。 湯谷城の鳥観図風お絵描き。 主郭南の三連堀切は「六日町町史資料編第1巻」の図を参照させてもらった。 曲輪と呼べそうなエリアは主郭とその北東方向の曲輪のみで、 ほとんどが痩せ尾根で、堀切を執拗に掘っている。 これは籠城する城というより普段は物見として活用し、 有事には敵兵の侵攻を妨げる為の城と言える。 PR |
雷土城の訪問ログ 雷土城所在地(国土地理院地図へ) 南魚沼市(旧大和町)側では雷土城と呼ばれ、 魚沼市(旧小出町)側では板木城と呼ばれる。 写真の遠景は南魚沼市側から撮影したものである。 雷土城主郭にある標柱と縄張り図。 縄張り図の方はかなり朽ちてしまっており、読むのが困難。 同じ城で違う名前の標柱と解説板があるのがここの特徴。 こちらは板木城名義のもの。 主郭入り口への道。 ハイキング道として整備されているので、 歩きやすいものの、道以外は藪に包まれている。 主郭より北側(魚沼市方面)を眺める。 隣の湯谷城とここの構造を見ると北に向かって堅固にしているように見える。 ゆえにここで北からくる敵勢を見据えていたのかも知れない。 雷土城(板木城)の鳥観図風お絵描き。 全体的に藪に覆われているので、「六日町史資料編第1巻」の図を元に作成した。 南側以外の尾根には畝状竪堀を配置しており、個人的な見解から 北側から攻めてくる事を想定した造りと思う。 遺構はかなり良いのだが、藪が多いのが残念である。 |