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飯島古城所在地(国土地理院地図へ) 飯島古城は伊那の名族片桐氏の一族である。 そもそも片桐氏は満快流源氏の末裔で、源為公(ためきみ)の五男為基が 片桐氏の祖となり、為基の子為行の三男為綱が飯島氏・岩間氏を興した。 飯島城の麓にある古町(上地図における現在地)にやや広いカーブがあるので そこに車を停めて行った。 飯島古城は農地で道も狭いので、少々歩くが仕方ない。 古町の古街道沿いに写真の小さな路地入口があるので、そこを曲がる。 相の堀とよばれる空堀には墓地があるが、保存状態はかなり良い。 ここが一番外側の堀にあたるようである。 陣の垣外と呼ばれる四の曲輪は現在国道153号が貫通してしまったため 土取りされてしまってほとんど残されてなかった。 坂を下り国道を横切って向いの道路を入ると解説板がある。 四の曲輪の直下に前の田と呼ばれる三の曲輪がある。 四の曲輪の方が高いので土塁のような役割を果たしていたるようだ。 写真は二の曲輪との境をなす空堀だが、くっきりと堀を残っしている。 二の曲輪を抜けると古城窪と呼ばれる空堀に当たる。 これがなかなかの広さがあり、元の鞍部を拡張した趣がある。 道なりに古城窪へ降り、主郭のある城山にぶつかるあたりに 登り口を見つけた。 一段腰曲輪があり、その上が主郭である城山と呼ばれる区画である。 思っていたより広いが、大勢が籠城するには不向きな城である。 主郭に至る途中の腰曲輪には解説板があるので、これも読んでおきたい。 飯島古城の鳥観図風お絵描き。 四の曲輪である陣の垣外以外は農地になりながらも地形だけはしっかり残している。 先に述べたように国道より城内は道が狭く駐車スペースがほとんどないので、 離れたところに車を停めて歩いてくる事をお勧めする。 |
飯島城所在地時(国土地理院地図へ) 飯島氏は伊奈の名族片桐氏の出で、最初は飯島古城を拠点としていたが、 この地に見下ろされる事もあってか後年ここに城を築いたようである。 飯島城周辺は狭い道になっているので、駐車場所がない。 ので少々歩くが飯島氏にゆかりのある西岸寺に車を停めさせていただき、 歩いて行くと途中で写真の解説板が設置されている。 後に訪れる飯島古城も一緒に説明されている。 主郭周辺は竹林になっているので、わかりやすい。 手前の水田も元は堀跡だったというが、今では低い地形しか残していない。 主郭の土塁を農道が貫通している。 その削られた土塁の傍らには解説板と標柱がある。 主郭は全面農地になっており、車で入るのは控えておきたい。 解説板のある土橋から空堀に降りてみる。 小さな沢がU字側溝に流されており、元々の沢だったのかも知れない。 いずれにしても堀の幅は広く、迫力がある。 実はこの先に登城と呼ばれる曲輪があるのだが、 こちらから訪問するのは大変なので止めておいた。 この後、飯島古城を訪ねた帰り、寺町と呼ばれる区画近くから 新城の竪堀似地形を道路脇から見られると分かった。 こちらもついでに訪れておきたい。 |
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小栗山城の所在地(国土地理院地図へ)
小栗山城の遠景。 中央の送電鉄塔が建っている部分が主郭である。 城の麓付近は宅地なので、山際と水田に挟まれた道路に 車を停めて向かう。 小栗山城南東麓の城山神社が入口の目印。 その左奥に写真の登れる道がある。 藪漕ぎしないで城に行けるのはありがたい事だ。 主郭には送電鉄塔JR線千手-上長崎61号が建っている。 鉄塔は周辺の高い木を伐採してしまうので、 藪になる確率が高まるのだが、ここは良く整備されていて見やすい。 主郭背後の尾根はハイキング道になっているので、通行自体は容易にできる。 ただ、堀切など道でない部分は藪に覆われているので撮影には不向きであった。 |